同志社大学

教員メッセージ

上田 眞士教授

人間たちの 営みとしての産業

上田 眞士教授

1961年京都府生。京都大学大学院経済学研究科博士後期課程修了。2010年同志社大学社会学部産業関係学科教授(着任)。主な担当科目は「比較産業関係論(1)・(2)」「産業関係実習Ⅰ・Ⅱ」。

 着任の年から数えて、私はまだ7年目を迎えたに過ぎず、産業関係学科での想い出を語るようなポジションではありません。ですから、メッセージをと言われても、何を書いて良いのか、正直、少し困りました。迷った末に、私がいま何を考え、産業関係学科で勉強・研究しているのか、その想いの一端を紹介して、同窓会や在学生の皆さんと一緒に50周年を祝すことにしたい、そのように思います。
 私は産業(=Industry)という言葉が、好きです。しかも、その愛着は昨今では、自らの信念の一部を構成しているようにさえ思います。一つのきっかけは、ある英和辞典でindustryという言葉の原義に、あらためて出会ったときです。次のような記述が目を引きました。【原義:中に築くこと→勤勉、努力→組織的作業→産業、 [派]→industrial(形)、 [派]→industrious(形)】(ジーニアス英和辞典第4版、大修館書店)。
 以下は私の勝手な了解で、語義の含意を学問的に確証したものではありません。産業という言葉が、私の内面に想起する心象ということになります。ですが、私の中では、組織に集った〈人s〉が勤勉に努力を傾けて、有用な製品・サービスを生み出す、その人間たちの真面目な日々の営みが「産業」だということ、そうした明瞭なイメージがこの一つの小さなきっかけから、定着するようになりました。それまで無機質めいた響きを持っていた産業=Industryという言葉が、一転して〈人s〉の営みという理解を軸に、人間の体温や息遣いを実感させる言葉に変わって行ったと言っても良いです。
 この産業という人間たちの真面目な協働の営みの中で、〈人s〉が時に対立を含みながら必ず取り結んでいく社会関係、そこに交差し凝縮していく筈の人々の思いを学問的に読み解き、記述しきれるかどうか。それが産業関係論と向き合う、私の今の課題だと考えています。産業関係学科・NEXT50 YEARSの発展に向けて、このピント外れかも知れない拙い努力が微力ながらも一助になれば、私にとってそれに勝る歓びはありません。

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