同志社大学

教員メッセージ

石田 光男教授

これまでの歩みを振り返って

石田 光男教授

1949年長野県生。東京大学大学院経済学研究科博士課程修了。1978年同志社大学文学部助手(着任)。1990年文学部教授。2005年より現職。主な担当科目は「産業関係論(1)・(2)」「産業調査実習Ⅰ・Ⅱ」。

 私は1978年に助手として着任した。中條毅先生が在職中は、社会政策を担当し、先生の退職後は産業関係論を担当してきた。この機会に私が伝えたいことは二点である。一つは学問、一つは教育。この40年近く、まことに自由な勉強をさせていただいた。着任してしばらくは、東京から離れて研究に後れをとるのではないかという不安が強かった。しかし、イギリス鉄鋼公社、新日鉄広畑、イギリス全土の賃金、トヨタ・マツダ、アメリカの賃金、本田・日産の労働組合、GM、VW、パナソニックの調査等、何一つ悔いのない研究に従事することができた。机上の空論ではなく、職場のルールをしっかり分かることの大切さを、産業関係学科の学風として定着させることに寄与できたのではないかと密かに自負している。教育は波乱万丈と言うべきか。概ね、90年代までは、教育は楽しかった。学問と教育とが地続きと考えてよい時代であったからである。ゼミの議論は活発で、出欠を取らなくても全員が出席したし、予習もよくやってきてくれた。私は少し年長の学生としてその議論に割って入れば時間が過ぎるのも忘れて愉快な議論が続いた。そういう時代であったから、本もできるだけ難解な本を選んだ。そういう気風が学生にもあったように思う。その後の10数年は苦闘の歴史である。私の年齢もその一因であろうが、学問の延長でゼミをしても議論が発生しなくなった。悔やまれることである。そうした時代の変化を事実として受け止め、教育を改めて考え直す必要に迫られている。大学院の教育は、私自身、アメリカ研究科、総合政策科学研究科、産業関係学専攻を渡り職人のような経験をしてきた。我が専攻の大学院の立ち上げができたのは、千田忠男先生、浦坂純子先生の尽力の賜物である。大学院教育は、なお学問の地続きであるから、苦痛に感じたことは一度もない。炉辺談義風の月例の文献研究会は20年以上続いている。ここでの気楽な切磋琢磨が私にとっても若い研究者にとっても「稽古場」であった。来るなといわれるまで出たいと思っている。

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